|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
評論家 酒井憲一先生花山劇感想第22回公演『いばら館のろくでなしのヨウコさん』2009/5/22~25 阿佐谷ザムザにていばら館のろくでなしのヨウコさん憑依(ひょうい)垂直に堕ちるとはこのことでしょうか。でも、土を崩して落ちるのではありません。 重力はないのですが、蠢動(しゅんどう)のまま降りていき、やがてぷっつり。 芥川の蜘蛛の糸ならぬ、マクベスならぬ花山ららの薔薇の沈潜です。 これまでの多くのらら劇は、 多空間がさみだれて波紋し合い、 環を重ねては拡散し、また戻ってきました。 それが今度は、ららの胎内の大いなる深さにのみ通じる鉛直空間でした。 お互いがやってきて、お互いの運命にうごめいて、 うごめき果てた絶叫の眠り姫ヨーコさんは、 薔薇の花芯に堕ちました。 15周年、第22回公演は垂直舞台一場であっただけに、 演技の熟練は極限を行き、怖いほどの感動を与えました。 よう子姉さん、曜子姉さん、ヨウコさんとYOKO三代目の大熱演。 声も嗄れての楽のヨウコさんに、のけぞるほどに憑依され、 その夜は眠られませんでした。 2009.6.2 一ファン 酒井憲一 |
酒井憲一先生より『花の山うた集』祝劇団40CARAT15周年 1994~2009 花の山うた集─40CARAT15周年頌酒井憲一 2009.3.30
|
||
|
いち
94.7 あなたが行く天国恋は夢
お相手は |
はち
00.11 蝶、きれい。ストリップ劇場の踊り子たち
キレイなはずだった |
じゅうご
05.12 ギリギリ王の憂鬱
キリギリスと読めて仕方がない |
|
にい
95.3 ラストヴァージン
公園のダンボール生活の女 |
く
01.9 悲しくない?ロミオとジュリエット
細々としたバーを舞台に |
じゅうろく
06.8 花山的奇譚
見たものは |
|
さん
96.8 黒の薔薇
門司港の外人バー |
じゅう
02.7 斜岩病院ラプソディー
ナナメ病院の裏庭の池 |
じゅうしち
06.12 マッチ売りの少年だった
男の結末の最後の幸せ
長い外題を伝わって |
|
し
97.3 道
知恵遅れで盲目のおすぎ |
じゅういち
03.5 Moon Drop Love Stories
銭湯とまちおこしと若衆 |
じゅうはち
07.6 ビュルビュル
過去を消した |
|
ご
98.2 君が前髪に桜の花散る
桜が咲くと |
じゅうに
04.3 そして、沈黙
ナイフを頭上に吊るし |
じゅうく
07.9 ラストヴァージン改訂版
初演から12年 |
|
ろく
99.2 ふたりあかね
母を殺された少女あかね |
じゅうさん
04.10 ヤナギノウタガ聞コエル
都市計画観光課がある |
にじゅう
08.2 上海キップ
上海帰りのリルではないが |
|
しち
00.4 Do you love me?
ふうせんかずらの種 |
じゅうし
05.2 月光
暗殺に成功した |
にじゅういち
08.8 蝉時雨アメノウズメ伝
蝉時雨の中 |
|
にじゅうに
09.5 いばら館のろくでなしのヨウコさん
「乞うご期待!!!!」が「恋うご期待!!!!」とあるHP予告編。それが40CARAT流のウイット。ミステリーなのです。いばら館の扉の奥で繰り広げられる、妖しい花山ワールド。人間と霊と愛と都市計画と多重劇と晦渋の花山ワールド。 |
||
俳優 津田寛治さん
第4回公演 『道』
|
|
|
|
初めてララさんに会った時の印象は「パワフルなオバチャン」といった感じだったのだが、今にして思えば、あの時から今に至るまで、僕の中の花山ララさんは少女なのだ。 誰もいない公園の片隅で、一人うずくまって遊んでいる女の子に「いーれーて」と声をかけてしまったような感じだ。 ところが、その女の子はとんでもない暴れん坊将軍で、なにかにつけて暴力を振るうのだった。 時には今まで創り上げたものを全部壊してしまったりもする。 そう…女の子は生まれながらの破壊大王だったのだ。 でも、余りにも気持ちよくボカンボカン壊していくので、そのあっぱれな破壊っぷりに気がつくと僕らは拍手をしていたりする。 そんな40カラットの舞台…最近観てないなあ…。 また元気もらいに劇場行こうかな…「破壊大王の少女」が今も健在なのを願って。 |
|
|
|
東京大学教授 西村幸夫先生40カラットの見どころ劇団40カラットの身近なサポーターとして、またその舞台の永年の観客として、40カラットの芝居のユニークさとおもしろさを考えてみる。 まず第一に、どの芝居にも共通していえることとして、スポットライトを浴びる特定のヒーロー・ヒロインとその他の配役という構造になっていないことがある。 次に、芝居を見終わったあとの印象として、生きることに元気づけられるような作品が多いこと。役者もいきいきと楽しげに演じており、芝居のメッセージそのものも、いかに悲劇的なストーリーであっても、明日の元気につながるものなのだ。おそらく、劇団の基本的な主張として、生きる元気をまわりと分かちあうことがあるのだろう。 第三に、役者と演出家の共同作業として芝居が作られていること。これは第二の点ともつながるが、それぞれの役者の工夫が織り込まれて、芝居としても幾重もの解釈が出来るものへと深まっていると思う。また、演出家帝国主義ではないそのような作劇術が、劇団としてのまとまりのよさを生んでいると思う。 |
評論家 酒井憲一先生花山劇感想第17回公演『マッチ売りの少年だった男の結末の最後の幸せ』感想いつもの奇譚幻想から一転、大正・昭和ロマンを平成にまで昇華した舞台と感じました。 マッチ棒の人情が会場にすすり泣きを波立たせ、観客おたがいが自分の流す涙は池袋の雪になるぞと奇想し合いました。 賢治の妹トシとの「永訣の朝」の詩が、あんかひとつの舞台と、しびれるほどしわがれたソロと楽奏と交差して、中空に聖なるものを呼び続けました。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 死にゆく日、最愛の兄に、雪を頼んだ妹。 「マッチ売りの少年だった男の結末の最後の幸せ」は、クリスマスキャロルのための特化作品なのでしょうか。 それとも芸術を今後に向けて止揚した新世界なのでしょうか。晦渋奇譚劇へ回帰するのでしょうか。それもよし、ただ、今は雪の(雪野)涙に暮れております。 平成18年12月23日 |
|
>>PAGE TOP |
|
|
|
|
Copyright (C) 2002 THEATRICAL COMPANIES OF 40CARAT. All Rights Reserved. |