|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
俳優 津田寛治さん
第4回公演 『道』
|
|
|
|
初めてララさんに会った時の印象は「パワフルなオバチャン」といった感じだったのだが、今にして思えば、あの時から今に至るまで、僕の中の花山ララさんは少女なのだ。 誰もいない公園の片隅で、一人うずくまって遊んでいる女の子に「いーれーて」と声をかけてしまったような感じだ。 ところが、その女の子はとんでもない暴れん坊将軍で、なにかにつけて暴力を振るうのだった。 時には今まで創り上げたものを全部壊してしまったりもする。 そう…女の子は生まれながらの破壊大王だったのだ。 でも、余りにも気持ちよくボカンボカン壊していくので、そのあっぱれな破壊っぷりに気がつくと僕らは拍手をしていたりする。 そんな40カラットの舞台…最近観てないなあ…。 また元気もらいに劇場行こうかな…「破壊大王の少女」が今も健在なのを願って。 |
|
|
|
東京大学教授 西村幸夫先生40カラットの見どころ劇団40カラットの身近なサポーターとして、またその舞台の永年の観客として、40カラットの芝居のユニークさとおもしろさを考えてみる。 まず第一に、どの芝居にも共通していえることとして、スポットライトを浴びる特定のヒーロー・ヒロインとその他の配役という構造になっていないことがある。 次に、芝居を見終わったあとの印象として、生きることに元気づけられるような作品が多いこと。役者もいきいきと楽しげに演じており、芝居のメッセージそのものも、いかに悲劇的なストーリーであっても、明日の元気につながるものなのだ。おそらく、劇団の基本的な主張として、生きる元気をまわりと分かちあうことがあるのだろう。 第三に、役者と演出家の共同作業として芝居が作られていること。これは第二の点ともつながるが、それぞれの役者の工夫が織り込まれて、芝居としても幾重もの解釈が出来るものへと深まっていると思う。また、演出家帝国主義ではないそのような作劇術が、劇団としてのまとまりのよさを生んでいると思う。 |
評論家 酒井憲一先生花山劇感想第17回公演『マッチ売りの少年だった男の結末の最後の幸せ』感想いつもの奇譚幻想から一転、大正・昭和ロマンを平成にまで昇華した舞台と感じました。 マッチ棒の人情が会場にすすり泣きを波立たせ、観客おたがいが自分の流す涙は池袋の雪になるぞと奇想し合いました。 賢治の妹トシとの「永訣の朝」の詩が、あんかひとつの舞台と、しびれるほどしわがれたソロと楽奏と交差して、中空に聖なるものを呼び続けました。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 死にゆく日、最愛の兄に、雪を頼んだ妹。 「マッチ売りの少年だった男の結末の最後の幸せ」は、クリスマスキャロルのための特化作品なのでしょうか。 それとも芸術を今後に向けて止揚した新世界なのでしょうか。晦渋奇譚劇へ回帰するのでしょうか。それもよし、ただ、今は雪の(雪野)涙に暮れております。 平成18年12月23日 |
|
>>PAGE TOP |
|
|
|
|
Copyright (C) 2002 THEATRICAL COMPANIES OF 40CARAT. All Rights Reserved. |